ロングステイ・オーストリア

マリア・テレージア生誕300 / 皇妃エリーザベト生誕180 / ドナウワルツ初演150周年


2017年4月5日   

マリア・テレージアとその家族
マリア・テレージアとその家族

マリア・テレージア生誕300周年


「女帝」と呼ばれたマリア・テレージア (1717 - 1780)。
夫をしのぐ政治家として、彼女の外交術は後世に語りつがれるほど卓越したものでした。同時にひとりの人として、妻として、母として力強く生き抜いた女性です。
彼女は政治家として一国の領土を守護し拡大するため、争乱のヨーロッパにあって戦略家としての手腕を発揮しました。妻としては夫をこよなく愛し、母としてはその身体を休ませる間もなく毎年のように子供を宿しながら、16人もの子供たち一人ひとりに心を寄せ、家族中心主義を貫きました。フランス革命時に断頭台の露と消えた王妃マリー・アントワネット (1755 - 1793) は彼女の15番目の娘です。
彼女はまた義務教育のための学校制度の普及、兵学校の創立など、教育を重視した先見の明の持ち主でもありました。

「国母」として親しまれた彼女の生きざまは、幸せな結婚生活を続けながらも自立して働く女性のモデルとして、現在もなお多くの女性たちの憧憬の的となっています。

「シシィ」の愛称で親しまれたオーストリア皇妃エリーザベト生誕180周年


「シシィ」の愛称で呼ばれたオーストリア皇妃エリーザベト (1837 - 1898) は、16歳という若さでオーストリア皇后になりました。彼女の波瀾万丈の生涯は映画やミュージカルなどで多くの人々に知られ、「悲劇の皇妃」という枕詞とともによく語られます。

彼女は4人の子供に恵まれたものの、当初は義母ゾフィーによって自ら育児をすることも許されず、宮廷生活から逃避する日々を続けました。生まれながらの美貌を持っていた彼女は、若さと美しさを保つために膨大な出費を重ねます。記録には身長172cm、ウエスト50cm、体重50kgとあり、かなり過酷なダイエットをし続けていたと言われています。

南ドイツ、バイエルンの湖畔で過ごした幼少期から自然を愛し続けた彼女は、権威や儀式が支配する宮廷とは相容れなかったのでしょう。幼い長女ゾフィーを亡くしたあとも、映画・舞台で『うたかたの恋』として知られる皇太子ルドルフの自死など、悲劇の連続とも言えるその人生は、ジュネーブ・レマン湖のほとりで無政府主義者によって暗殺されることで幕を閉じました。61歳の生涯でした。

ドナウワルツ - 『美しき青きドナウ』初演150周年


今からちょうど150年前の1867年2月15日、ワルツ王ヨハン・シュトラウス2世 (1825 - 1899) が作曲した『美しき青きドナウ』が初めて演奏されました。現在では「オーストリアの第2国歌」とも言われ、誰もが知る名曲です。

現在では「ドナウよ、いとも青き川よ。谷や野を貫き、穏やかに流れゆく…」と言う歌詞が有名ですが、当時のオーストリアは普墺戦争(1866)でプロイセンに惨敗した直後でした。
その暗い世相を打ち消すかのように、ウィーン子たちは

楽しくやろうぜ、時代なんて気にするな。
悲しんだって、どうしようもない。
苦しんだって、悩んだって、何の役にも立たない。
だから楽しく愉快に生きよう!

という歌詞とともに歌ったのだそうです。

マリア・テレージアや皇妃エリーザベト、ヨハン・シュトラウス2世の足跡をたどるウォーキングツアーについてのお問い合わせはこちらから。
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2017年夏期オペラ公演と、ウォーキングツアーのご案内


2017年4月5日   

2017年夏期オペラ公演

以下の夏期野外オペラのチケット購入のご相談をこちらで承ります。

ザンクト・マルガレーテン野外オペラ『リゴレット』 2017年 7月12日 - 8月19日
メルビッシュ湖上オペレッタ『小鳥売り』 2017年 7月7日 - 8月19日

ウォーキングツアーのご案内

リヒテンシュタイン宮殿
リヒテンシュタイン宮殿
ロングステイ・オーストリアでは、以下の例のような、ウィーンにまつわる様々なテーマに沿ったスペシャルウォーキングツアーを企画しております。





New! 荘厳な貴族の館 リヒテンシュタイン宮殿 ガーデンパレス&シティーパレス (右)
モーツァルトの足跡
ハイドンの足跡
ベートーベンの足跡
シューベルトの足跡
ショパンの足跡
フランツ・リストの足跡
ヨハン・シュトラウスの足跡
アントン・ブルックナーの足跡
グスタフ・マーラーの足跡
ベルタ・フォン・ズットナーの足跡

グスタフ・クリムトの足跡
エゴン・シーレの足跡
オットー・ワーグナーの足跡
美術史美術館館内ご案内
レオポルド美術館館内ご案内
リヒテンシュタイン美術館館内ご案内
ベルベデーレギャラリー館内ご案内
造形美術アカデミー絵画館館内ご案内
ハプスブルク帝国ゆかりの地
皇帝フランツ・ヨーゼフ一世と皇妃エリーザベト
クーデンホーフ=カレルギー・ミツコの足跡
フランツ・フェルディナンドの足跡
マリア・テレージアとフランツ1世
シシィ博物館、王宮宝物館館内ご案内
シェーンブルン宮殿

ウィーンのユダヤ人ゆかりの地
映画「第三の男」ロケ地をめぐる

ブルク劇場館内ご案内
市庁舎館内ご案内
国会議事堂館内ご案内
リング通り開通150周年
軍事史博物館館内ご案内
自然史博物館ご案内
アウガルテン工房館内ご案内
斬新な建築群、経済大学新キャンパス散策

徒歩と市電などの公共交通機関を利用した、2時間半-3時間のツアーです。
お客様のご希望に沿ったウォーキングツアーも承ります。お気軽にお問い合わせください。
お問い合わせはこちらから。
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モーツァルト生誕260周年 / フランツ・ヨーゼフ1世没後100年


2016年3月30日   

王宮公園のモーツァルト像
王宮公園のモーツァルト像

モーツァルト生誕260周年


今年はモーツァルト生誕260周年。ウィーンの街角をはじめ、ザルツブルグなどオーストリア各地でモーツァルトについてのイベントが開催されます。
モーツァルトについてはいまだに解明されていない謎が沢山あります。例えば…
もしモーツァルトがコンスタンツェと結婚しなかったら、もっと長生きできたのでは…?
1784年に豪華な住まいに引っ越して、生涯で最も充実した作曲・演奏活動をしたにもかかわらず、なぜ経済的にゆとりがなかったのか?
当時のウィーン市の納税者名簿になぜ彼の名前が記載されていなかったのか?
謎のモーツァルトの頭蓋骨とは…?
などなど。
モーツァルトが1781年から1791年までの期間に行った音楽活動から私生活に至るまで、現場であるウィーンでその謎を追いかけてみませんか。

フランツ・ヨーゼフ1世没後100年


今年は1848年から1916年まで、68年の長きにわたってオーストリアの皇帝として君臨し続けたハプスブルク家の皇帝、フランツ・ヨーゼフ1世が第一次世界大戦のさなかに没してからちょうど100年にあたります。
「シシィ」として知られる美貌の皇后エリーザベトとの情熱的な恋愛結婚のエピソードはあまりにも有名ですが、本来のフランツ・ヨーゼフは日々地道に公務をこなす「国家第一の役人」と言えるほど勤勉な皇帝でした。
実質上の「ハプスブルク最後の皇帝」とも言われる彼が多民族国家オーストリア・ハンガリー帝国に及ぼした影響は大きく、多くのエピソードや伝説を残しています。
今年は彼についての特別展やイベントも多く企画されています。
「皇帝のお膝元」であるかつての帝都ウィーンで、彼の生涯を追ってみませんか。

モーツァルト、フランツ・ヨーゼフ1世の足跡をたどるウォーキングツアーについてのお問い合わせはこちらから。
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リング通り開通150周年 / フランツ1世没後250年


2015年3月20日   

フランツ1世とマリア・テレージア、子供たち
フランツ1世とマリア・テレージア、子供たち

リング通り開通150周年


オーストリア・ハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は1857年にウィーンの街を囲んでいた城壁撤去を命じ、1865年、幅57m、長さ5.3kmの美しい環状道路が「リング通り」として完成しました。今年、リング通りはその開通から150周年を迎えます。
政治面でも重要な役割を果たし、観光面でも見逃すことの出来ないリング通りは、かつても今もウィーンのハイライトと言えるでしょう。
リング通りを含む旧市街は2001年に世界遺産に登録されました。

フランツ1世没後250年


1996年世界遺産に登録されたシェーンブルン宮殿は、もともとはハプスブルク家の夏の離宮として建築されました。この宮殿にマリア・テレージアと夫フランツ1世が暮らし、その16人の子供たちが育った頃が、バロック時代の最も華やかなりし頃でした。
シェーンブルン宮殿の外壁の色はマリア・テレージア・イエローと呼ばれるクリーム色に彩られ、宮殿は今日も多くの観光客でにぎわっています。
政治にあまり関心を持たなかったフランツ1世は、主に自然科学に没頭し、シェーンブルン宮殿内に世界最古の動物園を創立したことでも知られています。今日自然史博物館に展示されている膨大な収集品は、彼がいかに自然科学に熱中していたかを物語っています。
フランツ1世はいつも偉大な女帝マリア・テレージアの影に隠れているような印象を受けますが、実は2015年はフランツ1世の没後250年にあたります。
今年は彼の足跡がいたるところでご覧いただけます。

リング通りの歴史、フランツ1世の足跡をたどるウォーキングツアーについてのお問い合わせはこちらから。
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フランツ・フェルディナント大公 / ベルタ・フォン・ズットナー没後100年


2014年3月30日   

フランツ・フェルディナント大公とズットナー
フェルディナント大公とオーストリア2ユーロ硬貨

フランツ・フェルディナント大公没後100年


1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公がサラエボで暗殺されました。この事件が引き金となり第一次世界大戦が勃発しました。
今年はこのサラエボ事件からちょうど100年にあたります。

皇帝フランツ・ヨーゼフ一世は息子のルドルフ皇太子をマイヤーリンク事件で失った後、甥であるフランツ・フェルディナントを皇位継承者に指名しました。しかしフランツ・フェルディナント大公は身分の低いチェコの女官ゾフィー・ホテクとの恋愛を貫いて貴賤結婚をしたため、彼女は皇族が持つ特権を、そして誕生する子供たちは皇位継承権を放棄せねばなりませんでした。また大公本人に対しても皇太子という呼び名の代わりに皇位継承者という言葉が主に使われていました。そのため政治面でもプライベート面でも皇帝と大公の間には絶えず対立があったと言われています。
フランツ・ヨーゼフ一世の住まうシェーンブルンとフランツ・フェルディナントの居城となっていたベルベデーレの対立、二人の政治・外交観の対立については様々なエピソードも残されており、歴史的にも非常に興味深いものがあります。

ベルタ・フォン・ズットナー没後100年


ベルタ・フォン・ズットナーは1843年に当時オーストリア帝国領内だったプラハで伯爵令嬢として生まれましたが、父であるキンスキー伯爵の死後に財政が逼迫したため、ズットナー男爵家の家庭教師として自活の道を歩み始めました。やがてベルタはズットナー家の息子アルトゥールと恋仲になりますが、男爵家の反対によって彼女はズットナー家を去り、パリでアルフレッド・ノーベルの秘書として働くことになりました。
その後ベルタはアルトゥールとの恋愛を成就させ、二人はジャーナリストとして活躍します。彼女は露土戦争(1877-8年)を体験した経験から、反戦小説「武器を捨てよ」を出版し、作家として、ジャーナリストとして生涯にわたり国際的平和運動に携わりました。ベルタはまた、ノーベル平和賞を受賞したはじめての女性でもあります。
皮肉なことに彼女はフランツ・フェルディナント大公がサラエボで暗殺される1週間前の6月21日、第一次世界大戦の勃発を前にウィーンで没しました。彼女の姿は現在オーストリアで発行されている2ユーロ硬貨の裏面に見ることが出来ます。

フランツ・フェルディナント大公、ベルタ・フォン・ズットナーの足跡をたどるウォーキングツアーについてのお問い合わせはこちらから。
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プリンツ・オイゲン生誕350周年


2013年4月13日   

ベルベデーレ宮殿
ベルベデーレ宮殿
2013年はプリンツ・オイゲン(サヴォイのオイゲン公)生誕350周年。それを記念して、さまざまなウォーキングツアーを実施いたします。

プリンツ・オイゲンの名で今もウィーン市民に親しまれているサヴォイのオイゲン公は、フランスのサヴォイ家出身の貴族でした。1663年にパリで生まれた彼は、長子ではなかったため、軍人として生きる道を選びます。1683年、20歳の彼はハプスブルク家のレオポルト1世に仕官し、当時ウィーンを包囲していたオスマントルコ軍と戦って(第二次ウィーン包囲)、勇名を馳せました。
その後も彼は様々な戦線を転戦し、スペイン継承戦争などでも重要な役割を果たしながら、ハプスブルク帝国3代の皇帝に仕えました。
彼の奮戦の成果もあり、18世紀前半のオーストリアは平和と繁栄の時代を迎えることになります。
プリンツ・オイゲンはその功績によって莫大な富と影響力を得、それを宮殿の建設や芸術家の庇護、美術品の収集などに費やしました。その中でも最も有名な芸術的遺産こそが、夏の離宮として建てられたベルベデーレ宮殿です。
彼の勇姿は、今日でもホーフブルク宮殿内の英雄広場にある騎馬像で見ることができます。

プリンツ・オイゲンの足跡をたどるウォーキングツアーについてのお問い合わせはこちらから。
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クリムト生誕150年


2012年4月2日   

ブルク劇場とクリムトの墓
ブルク劇場とクリムトの墓
2012年はグスタフ・クリムト生誕150周年。それを記念して、さまざまなウォーキングツアーを実施いたします。

グスタフ・クリムトは1862年にウィーンで生まれました。彼は15歳でウィーン工芸美術学校に入学し、在学中から友人と弟の3人でデザイン・装飾の仕事を請け負うようになります。卒業後はこの3人で「芸術家商会」を設立。ブルク劇場の天井画作成によって、当時の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世から金十字功労賞を授与されました。以来彼の名声は高まり、美術史美術館の階段ホールをはじめ、皇妃エリーザベトの別荘ヘルメスヴィラなどの装飾画を次々と手がけました。
1897年、保守的なウィーンの美術界と袂を分かったクリムトは「分離派」を設立。ウィーン世紀末美術を代表する傑作絵画を発表してゆきます。
クリムト・イヤーである今年は、彼の傑作「接吻」をはじめ、多くの作品をウィーンでご覧いただけます。

常設展示

ブルク劇場 階段ホールの天井画
セセッション(分離派会館) ベートーベン・フリーズ
ベルヴェデーレギャラリー 「接吻」など
MAK(応用美術館) ストックレー邸食堂壁画の下絵

特別展

美術史美術館 特別展 (2012年2月14日-5月6日)
レオポルド美術館 特別展 (2012年2月24日-6月11日)
アルベルティーナ 特別展 (2012年3月14日-6月10日)
ウィーン博物館 特別展 (2012年5月16日-9月16日)
オーストリア演劇博物館 特別展 (2012年5月10日-10月29日)
オーストリア民族博物館 特別展 (2012年5月25日-10月14日)
クリムト最期のアトリエ (2012年夏オープン予定)

クリムトの足跡をたどるウォーキングツアーについてのお問い合わせはこちらから。
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マーラー没後100年


2011年5月1日   

マーラーの墓
グリンツィング墓地のマーラーの墓
2011年のグスタフ・マーラー没後100年を記念して、マーラーの足跡をたどるウォーキングツアーを実施いたします。

グスタフ・マーラーは1860年チェコのカリシュチェで誕生し、15歳のとき、ウィーン楽友協会音楽院(現ウィーン国立音楽大学)に入学しました。
1897年、彼は37歳でユダヤ教からカソリックに改宗し、その年にウィーン宮廷歌劇場第一楽長に任命され、芸術監督になりました。その後ウィーン・フィルハーモニーの指揮者となり、世紀末ウィーンの音楽界に黄金期をもたらします。
1902年、マーラーは42歳で当時ウィーン芸術界のミューズとして知られていた23歳のアルマと結婚しました。ツアーでは彼の最期の家や彼とその家族が眠る墓地などウィーン市内を廻ります。

ご希望に応じたプランもご提案いたします。

こちらから、お気軽にお問い合わせ下さい。
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リスト生誕200年


2011年5月1日   

エスターハージー宮殿
アイゼンシュタットのエスターハージー宮殿
2011年はフランツ・リスト生誕200年。ただいま記念スペシャルツアーへの参加者を募集中です。
ライディングの生家、彼が活躍したショプロンの街をはじめその近郊の城なども見学いたします。
昼食、夜の野外オペラ、湖上オペレッタ(夏シーズン)などのチケットも手配いたします。


ルート1

ウィーン市内ホテル ー エスターハージー宮殿 ー ショプロン(ハンガリー)ー ライディングのリストの生家(リスト博物館)

ルート2

ウィーン市内ホテル ー フォルヒテンシュタイン城 ー ライディングのリストの生家(リスト博物館)

ルート3

ウィーン市内ホテル ー ライディングのリストの生家(リスト博物館)ー ラッケンバッハ宮殿

昼食

ハンガリー料理(ショプロン)、旧エスターハージー家厩舎の高級レストラン「ヘンリチ」でのスペシャルコース(アイゼンシュタット)、映画「シシー」ロケ地レストラン(世界遺産・ノイジードラー湖周辺)、コウノトリが見学できるワインの美味しいホイリゲ(ルスト)など


ご希望に応じたプランもご提案いたします。

こちらから、お気軽にお問い合わせ下さい。
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ウィーンで舞踏会体験


2010年7月25日   

ウィーンフィル舞踏会
ウィーンフィル舞踏会
ウィーンでは年間を通じ王宮やオペラ座、楽友協会などでさまざまな舞踏会が開催されています。

中でも世界的に有名な舞踏会は2月に開催されるオペラの座舞踏会です。世界中の著名人、トップスターなどが集まり、まるで王侯文化華やかなりし頃に迷い込んだのではと錯覚するほど。男性は蝶ネクタイにタキシード、女性はカラフルなイヴニングドレスで一夜を踊り明かします。

華やかな舞踏会は、今やヨーロッパの他の都市ではほとんど味わえない、ウィーンならではの魅力です。あなたもウィーンで舞踏会を体験してみませんか?

舞踏会体験についてのお問い合わせは、こちらからお気軽にどうぞ。

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ショパン生誕200年


2010年4月15日   

ワジェンキ宮殿
秋のワジェンキ宮殿
2010年はショパン生誕200年。それを記念したスペシャルツアーへの参加者を募集中です。
ショパン生誕の地・ポーランドのゆかりの地を訪ねます。

ワルシャワ3日間の旅

ショパンの生家、ショパンの両親が結婚し、ショパンが洗礼を受けたボロフフ村の教会、ショパンの心臓が安置されているワルシャワの聖十字架教会、ワジェンキ宮殿を訪れます。

クラクフとアウシュヴィッツ3日間の旅

世界遺産に登録されている旧市街とアウシュヴィッツ強制収容所などを訪れます。

ご希望に応じたプランもご提案いたします。
またウィーンでのショパンの足跡を辿るウォーキングツアー、ショパンコンサートなども開催されます。
こちらから、お気軽にお問い合わせ下さい。
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アウガルテン絵付けセミナー


2010年4月15日   

アウガルテン宮殿内の磁器工房では、絵付けセミナーが毎月開催されています。
セミナーの期間は2日間(9時~16時)、昼食付で、参加料金は300ユーロです。

私はマリア・テレージアと呼ばれる緑色の美しい花模様のアウガルテン磁器に惹かれ、暇を見つけては絵付けセミナーに参加しています。
あなたもウィーンご滞在中に、絵付けセミナーに参加してみませんか。
参加をご希望の方は、こちらから、お気軽にお問い合わせ下さい。

絵付けセミナー体験レポート



完成品 2日間でこんな作品が完成します。
絵付けの先生と私。とても丁寧に指導してくださいます。 絵付けの先生
ディナーセット ディナー用スープカップが出来上がり、ついにスープからデザートまでディナーセットが揃いました。

本物をそろえると非常に高価ですが、自分で絵付けすれば、お値段は半額以下。描く楽しみとコレクションの楽しみが加わって、喜びは二倍です。
参加者の皆さんとおしゃべりしながら楽しい昼食。もちろん食器はすべてアウガルテン磁器。

美味しいケーキとコーヒーもアウガルテン磁器で味わえます。
昼食
絵付けの修正 先生が作品を点検し、修正してくださるので、仕上がりはまるで本物。

でも裏側をみると、アウガルテンのマークの下には私の名前が。

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Longstay Austria  Ipp KG
Commercial Reg. No.: FN 151718s, Commercial Court Wr. Neustadt
Email : office@longstayaustria.at

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