イップ常子さん、今回は素晴らしいガイドをありがとうございました。イップ常子さんのおかげで、忘れられない思い出の旅となりました。旅行前からLINE通話で何度かお話をさせていただき、フレンドリーでパワフルな元気な声で、こちらの希望を叶えたいという情熱を感じていました。イップ常子さんとは空港でお会いしハグからはじまりました。
主人が音楽・美術好きということもあり、ウィーンは夫婦共にいつか行きたい街でした。5年前、ガイドブックを買って旅行を検討していましたが、コロナで断念。今年5月の娘の出産前に行こうと思い付きのように、今年に入ってから飛行機のチケットとホテル、オペラ座の公演の予約をしました。
常子さんとのご縁は、主人がオーストリア協会の会報の常子さんの記事を思い出し、事務局に問い合わせ運よくご紹介いただいたことでした。
ウィーンでは毎朝9時にホテルへのお迎えからスタートです。大まかなスケジュールは事前に決まっていましたが、その日に臨機応変に対応いただくこともありました。たとえば、市内観光で音楽家の銅像を見ていた時、主人が「銅像より、お墓に行きたい。」と言うと「では、中央墓地に行きましょう。すぐですから。」と即答。イップさんの車で30分ほど走って、墓地へ。まるで公園かと思うほど整備された広大な墓地で音楽家達のお墓参りができました。その日はとても暑い日で、3人でアイスクリームを食べたこともいい思い出です。
観光中も車の中でも、ずっとしゃべりっぱなしの常子さん。聞いた事にはなんでも答えてくださり、どの作品についてもわかりやすく詳しいご説明で、よくお勉強されていると感じました。
イップさんは50年前にオーストリアに嫁ぎ、専業主婦として3人のお子さんの子育て中心の生活だったそうです。子育てが落ち着いた頃、あるガイドさんとの出会いで、ガイドさんを目指されたそうです。学校に通いガイドさんの国家資格を取る事は大変だったそうですが、天職に出会われたと思います。
また、イップさんのご自宅に招いていただいたことも、これまでの観光旅行ではない経験でした。
ゴルフ場に面した、素敵なお宅のお庭でのお好み焼きパーティーはとても楽しかったです。優しいご主人様が、海老フライをあげ、フルーツパフェを作るなどのおもてなしをくださり感謝の気持ちでいっぱいです。ご自宅の地下には、お子さん、お孫さんと受け継がれている手作りの指人形の舞台などがあり、常子さんが愛情いっぱいに子育てを楽しまれてることに感動を覚えました。
観光はもちろんのこと、今回多くのプラスアルファの経験ができたのも、個人旅行でガイドさんが常子さんだったからです。ウィーンが大好きな街になりました。主人とはすでに次回の話もしています。
今年の夏は、長男さんのお仕事とイップさんの結婚50周年でイップさんが日本に長期滞在される予定とのことで、再会を心待ちにしています。
ウィーン旅行を検討されている方、ガイドさんはイップ常子さんを自信を持ってオススメいたします。
改めて、今回は素敵な旅をありがとうございました。
上野谷 美十里
第一部A ナポレオン失脚後のウィーン会議 1814年「会議は踊る、されど進まず」
第2部B女性初ノーベル平和賞受賞者ベルタ・フォン・ズットナー女史(1843‐1914没 ) ベストセラー「武器を捨てよ」
今回も興味ある講演をありがとうございました。
「会議は踊る!、されど会議は進まず・・・」
まさに中世から近世にかけての王族や貴族達の栄華を表す内容だったと思います。
(自分がその場にいたら、呆れ返っていたかもしれません)
各々の領土の拡大と奪還、それに野心と欲望が交じり合っての会議は各参加者の“腹の探り合い”という内面がよく理解出来ました。
現在では先の二度に渡る大戦を経ての教訓から、欧州連合の参加国が力を合わせて「ヨーロッパ域内の平和と団結」に向けて切磋琢磨をしているところですが、その点で傍でみますと当時のウィーン会議はなにか優雅で華やかな時代に生きている人達の様子が想像できました。
(ナポレオンによる戦争が勃発しても、良き時代だったのでしょうか)
写真や版画でみても、オーストリー・ドイツ・フランス・イギリスにスペイン・ロシア人の顔立ちが同じようにみえて、そういうところも欧州に興味を抱いている理由の一つです。
次回の講演も楽しみにしていますので、よろしくお願いいたします。
第一部A ナポレオン失脚後のウィーン会議 1814年「会議は踊る、されど進まず」
第2部B女性初ノーベル平和賞受賞者ベルタ・フォン・ズットナー女史(1843‐1914没) ベストセラー「武器を捨てよ」
2月24日(土)の講演には、いつもと変わらず、大変エネルギーが感じられる講義で常子先生の熱心さと迫力が伝わり、元気をいただきました。ありがとうございま した。
第一部では1814−1815のウイーン会議の実態が映像と共に紹介されて大変興味深く理解出来ました。どこの国も、歴史の流れの中で、今までは三歩後退して は四歩進んで民主主義の確立に向かっていると思っていましたが、実体は後退に向かっている気がしています。
日本も権力主義が源流にあり、今の国会の情けない状態に これからバトンを受け継ぐべき若い人達に夢とか希望が持てないのではないかと危惧されます。すべて小さい時からの人材育成、そのための環境づくりにかかっているの ではないでしょうか。一方で、争いの絶えない政治国家から目をそらして、日常的な物に目を向け探求する風潮が出た、ビーダーマイヤー時代、市民階級の確立、芸 術の誕生という話は重要であり、面白いと思いました。
第二部ではノーベル平和賞の女性第一号のズットナー女史に焦点が充てられ、彼女の生い立ち、人生経験から世界平和を訴え続けた生き様を知ることが出来ました。彼 女は小説『武器を捨てよ』を世に出す一方、堪能な語学力と説得力のある話し方が彼女の活動の武器になったことも良く理解できました。
今のロシア侵攻で犠牲になって いるウクライナ、イスラエルとパレスチナの紛争、世界ではまだまだ数多くの紛争地域があります。
常子先生の力強い平和確立への使命感が響いてきます。『戦争は人 間の心の中で生まれるのだから、平和の砦も人間の心が築かなくてはならない』とユネスコ憲章も謳っています。
戦争は誰にとっても悲劇以外の何物でもないこと。平 和の尊さをかみしめています。
ありがとうございました。
このたび、イップさんからお誘いいただき、ウィーン郊外にあるロースドルフ城を訪問する機会に恵まれました。1000年の歴史があるロースドルフ城については、2020年〜2022年に日本での特別展「海を渡った古伊万里〜ウィーン、ロースドルフ城の悲劇」が東京ほか日本各地で開催されていたことを最近伺い、ぜひ一度訪れて見たいと思っていたところ、タイミングよくイップさんがツアーを企画してくださるということを知り、参加しました。
当日は秋を感じさせるひんやりしたお天気で、小雨も一時降り肌寒い日でしたが、当地在住日本人を中心とした約30名の方々を乗せたバスは、ウィーンを北上し、予定どおり1時間ほどでのどかな田園地帯にあるロースドルフ城に到着!城主のピアッティ家の皆さんが笑顔で我々を迎えてくれました。
城内に入ると、古伊万里をはじめとする陶磁器のコレクションの破片がところ狭しと展示されており、まずその数に圧倒されました。展示されている陶片は第二次世界大戦終結後に侵攻してきた旧ソ連軍に破壊されたものだそうですが、個々の陶片を収集し、被害状況等の調査を含め丁寧に記録を行い、データベース化していることを伺い、ピアッティ家のご苦労がしのばれるとともに、展示を通して当時の方々が体験された悲しみや苦悩を多少なりとも想像することができました。
破壊された陶片を廃棄することなく城内で大切に保存され、戦争の負の遺産として展示されてこられたピアッティ家の特別な思いに尊敬の念を感じざるをえません。
更に、イップさんより、現在日本の茶道裏千家教授によるチームがこれらの陶片を「古伊万里再生プロジェクト」として、日本の修復技術を用い復元する取り組みが行われていること、そしてその取り組みが前述した特別展等の形になり、日墺間の文化・芸術交流及び平和活動に発展していることを伺い、感銘をうけました。
国際情勢は先が見えず、混沌としています。戦争が過去のものと言えなくなっていることに深い悲しみを覚えます。
このたびのロースドルフ城の訪問をきっかけに、改めて平和を維持することへの重要性を強く感じるとともに、また日墺間の交流が活発に行われていることを知り、未来へのいくばくかの希望を持つことができたことは展示の内容とともに忘れがたい思い出となりました。
イップさん素晴らしいツアーを企画いただきありがとうございました。
ウィーン「美術史美術館」はぜひゆっくりと解説を聞きながら回ってみたいと思っていたので、今回イップさんにガイドをお願い致しました。
最初のチケット購入からサポートしていただき、すべてがとてもスムーズでした。
とにかく広く、展示がたくさんあるので、人気で有名な絵にポイントを絞って解説していただきました。
宗教画が多く、自分たちだけではどれも同じに見えてしまいそうですがイップさんは描かれている人々の表情や時代背景など、時にはクイズも織り交ぜながら、ガイドしてくださいました。
高齢母を気遣い、時にはソファーに座って遠くからじっくり絵画を眺めたり、トイレ休憩など細かな気配りもありがたかったです。
宝物館のコーナーでも、高価すぎて一度盗まれてしまったエピソードなど、面白いお話がたくさんであっという間の3時間でした。
現在は大きな美術館や博物館では、日本語の音声ガイドもありますが、やはり教科書通りの説明は味気なく感じられることも多いです。
イップさんの豊富な知識と経験とオーストリア愛に満ち溢れた解説は本当に面白くて、楽しく、素敵な旅の思い出となりました。
特に母が美術館はこんなに楽しいものなのねと感激していたのが印象的でした。
イップさんにガイドをお願いして本当に良かったです。
ありがとうございました。
日本は桜の盛りです。今年は温暖のようで、例年より早く桜が咲き始めました。大阪の桜は満開が過ぎて、今日の雨で終わりそうです。
3月30、31日に、久しぶりの墓参りと東京に住む息子一家を訪ねて東京へ行ってきました。
東京では、上野公園の東京都美術館にエゴン・シーレ展を見に行きました。ウィーンのレオポルド美術館にある作品です。「ほおずきの実のある自画像」や「自分を見つめる人U(死と男)」、「母と子」などシーレの作品の他に、ゲストル、ココシュカ、クリムトなど同時代の作家の作品が展示されていました。館内への入場は1時間区切りの予約制で、ネットで予約して行きました。
ウィーンといえば、ハプスブルグ家のきらびやかな建築、美術品や絵画ばかりが思い浮かびます。しかしウィーンという大都会に住んだ庶民の生活もあるはずです。
エゴン・シーレ(1890ー1918)が生きた頃のウィーンは、近代化や人口増加など、世紀転換期混乱の真っ只中にありました。伝統的な時代主義から訣別して分離派を作ったクリムトには、まだウィーンらしい伝統的で装飾的な美しさがあります。しかし、誇張されたほお骨や、画面の中に不自然に折り込まれて描かれた手足など、シーレの絵からはウィーンに生きる青年の不安や苦悩のようなものが感じ取れました。これは、ムンクなどにも共通した表現です。
美術館がある上野公園の桜は見事で、桜並木の下を何十年かぶりに散策しました。翌日、息子一家と、浅草、浅草寺に行きました。新型コロナの時は人もまばらだった浅草も、身動きができない程の人出で、外国人観光客の多さに驚きました。欧米人が多く、以前は多かった中国系の人たちはまだ、まばらでした。
大阪に帰ってからは、近くに住む娘一家と例年訪れる、同じ公園にお花見に行きました。孫たちも、この4月からは小学校3年生になります。そして私は、3月で退職して年金生活に入ります。
毎年、美しく咲き、そして散りゆく桜と同じように、人々の生活も、また少しずつ、少しずつですが時代は変わっていきます。
エゴン・シーレはスペイン風邪のため、妻の後を追うようにして、わずか28歳で亡くなりました。
角田秀晴
この度は、大変エキサイティングなご講演をお聴かせ頂き、有難うございました。まずはお礼を申し上げます。
イップ様のとてもドラマティックなご講演が日本時間の20時に終了した後、興奮冷めやらず、YouTubeでフンダートヴァッサー氏の動画を探し回る旅に出発し、気づいた時には夜中の12時を回っており、入浴を諦めざるを得なかったことを、ここだけのお話として記載させて頂きます(笑)
日本語のYouTubeの動画が非常に少なく、例えばグスタフ・クリムトやエゴン・シーレほどにフンダートヴァッサー氏が日本ではあまり知られていないことを残念に思いました。
私し自身もまったく聞いたことのないお名前でしたので、日本での彼の知名度について、私が何かを申し上げることの出来る立場ではないのですが。
ご講演の最初の方に、フンダートヴァッサー氏の自画像がエゴン・シーレの自画像と並んでプレゼンテーション画面に映し出された時、あまりに衝撃的で思わず声が出てしまいました。(似てる!!と。)
そして、日本人の女性と一緒に映った写真の彼の表情が、エゴン・シーレが写真に写る時のお決まりの顔、つまり顎を引いて上目遣いを決め込んだ表情と全く同じだったことにも、彼のエゴン・シーレに対するリスペクトと憧れの強さを感じました。
また、彼の絵画の中に多く登場する「モザイク感」を見た時には、クリムトの人物画の背景が重なりました。それと同時に、ルネサンス以前の聖書のシーンを再現するために描かれたモザイク画や、ゴシック建築の教会に見られる優雅なステンドグラスも思い浮かびました。今回のご講演でご紹介頂いたどの絵画も、私にとっては目が離せない程魅力的で、これほど実物の絵画の前に立ってみたいと思うことは珍しく、イップ様に多くの作品をご紹介頂けたことを、心より感謝しております。
ご紹介頂いた絵画の中に、建築現場で作業員の方が屋上からおしっこをしている絵画がありました。私は、仕事柄、多くの建築現場で工事の立ち合いを行ってきた経験があるのですが、あの行動(トイレに行くのが面倒でその場でおしっこをしてしまう、という行動)が、いかに現実の作業員の行動や心理を活き活きと描き出しているのかが、自身の実体験から痛いほど分かりました。例えば、10年前には、日本において、建築現場に女性が入る機会はあまりなかったため、私たち女性にとって、建築現場は、男性よりも過酷な場所でした。
作業服や作業靴は男性サイズしかなく、着替えも女子用の更衣室などないため、男性と一緒、そして女性用トイレもありません。あったとしても、広い工事現場の片隅に1箇所ある程度のもので、トレイに行って帰ってきたら、またトイレに行きたくなる、というジョークのような状況の連続でした。
私は、フンダートヴァッサー氏のこの観察眼に感動を覚えました。彼の絵画は決して写実的ではないのですが、どのような写実的な絵画よりも、人の習性や気持ち、行動を写実しているのではないかと。鋭くも愛に満ちた観察眼であらゆるものを観察し、それを出来るだけ単純化、記号化して表現する。それが風刺的なことであっても、決してよくある風刺画のように辛辣で冷たく見えないのも、彼の暖かく優しい心が絵に通っているからだと思いました。
建築においても、そのような彼の人柄と思想が作品に反映されていることを感じます。住宅や公共施設を多く手掛けられているのをご紹介頂きましたが、どの作品にも生き物や地球に対する愛があふれているのを感じます。大阪舞洲のスラッジセンターは自宅から自転車で行くことの出来る距離にあります。また、大阪市のキッズプラザは、息子が幼少期に何度も通っていた場所です。舞洲のスラッジセンターが建築されていた頃には、「あれは何の建物だろうね?」と、人工島に突然現れた奇抜な色の愛らしい建築物を、小さな息子と一緒にしょっちゅう見上げていた記憶があります。近くにユニバーサルスタジオが建築予定になっていた時だったので、息子共々、USJのアトラクションの一部と勘違いしていたことを思い出します。
なつかしさにかられ、イップ様のご講演の翌日、仕事で近くを通りかかったので、舞洲スラッジセンターに立ち寄ってみました。結論から申し上げますと、非常に残念な気持ちになりました。
建築されてから18年近く経過しているようなのですが、人の気配がまったくなく、周囲の環境も殺伐としているので、建物からは静かな不気味さを感じました。手入れがきちんとされていないのか、蔦は伸び放題、建物のひび割れも放置され、また、窓からのぞく草木(ご講演の時にも話されていた、日光や雨が自然に入ってきて育つ草木)も、「しな垂れている」印象でした。遠景はとても美しく、目立って印象的なのですが、埋立地という場所柄もあり、廃墟のような寂しさを感じます。
日本では、美術や建築物に対するリスペクトがとても乏しいような気がします。大阪市も長らくの財政難で、建築物の保護にまで頭が回っていないのかもしれません。
もともとそのような意識が低いので、民間に維持管理を委託するなどの手段を取るべきなのではないかと思いました。
今大阪市の政策の目玉となっている「IR事業」において、この舞洲にカジノの一部が建設される可能性があるようです。また、2025年の万博博覧会開催に向けて、フンダートヴァッサー氏の作品の周辺で工事が進んでいる状況です。
近い未来のこのような計画によって、この素晴らしい建物がもう一度明るく輝く日が来ることを願わずにはいられません。
最後になりますが、イップ様がご講演の冒頭でお話されていた「エゴン・シーレ展」ですが、わたくしも観賞予定にしております。幸運なことに、協賛しているゼネコンの方から鑑賞チケットを頂きました。今回は巡回展ではなく、東京限定ですが、3月中に機を見て訪問したいと考えております。シーレの他にも、多くのアーティストの作品を観ることができるとのことです。余談ではありますが、その中でも「リヒャルト・ゲルストル」というオーストリアの画家の人気が、この展覧会をきっかけに、日本で急上昇していると話題になっています。鑑賞後、また感想など送らせて頂きます。
今まで数々のイップ様のご講演に参加させて頂きました。その度に、素晴らしいオーストリアの偉人や芸術家の人生に触れることができ、学びを深める素晴らしい経験をさせて頂いております。これからも是非参加させて頂きたく、宜しくお願い申し上げます。
この度は本当に有難うございました。
白坂芳子
2022年11月25日、広島のカワイ・パーチェに於いて
〜ウィーンからの風〜
イップ常子さんによる「作曲家あれこれ」耳寄りなお話・・・と題してセミナーが開催されました。このセミナーをご紹介下さったのは福岡の久保山千可子先生です。
私は当日、初めて常子さんにお会いしましたが、まるで懐かしい友人に会うかのように待ち合わせ場所の広島・本通りのアンデルセン本店前で3人が大はしゃぎしたのでした。
常子さんのお話は、学校で学ぶ音楽史や専門書に書かれてあるようなことだけではなくハイドン、モーツアルト、ベートーヴェンそれぞれ子供時代のころからの面白いエピソードを交え、映像も見ながらとても興味深く話して下さったので、聞いていてワクワクしました。お話がとてもお上手なので、その世界に引きこまれていきました。もっともっと他の作曲家の事も聞きたくなり、是非、次回はブラームスやメンデルスゾーンも・・・とお願いしました。
セミナーに参加された方は音楽関係の方ばかりでなく、旅行でウィーンを訪れた際に常子さんがガイドされ、とても親切にしていただいたと感謝され、まるで同窓会のような雰囲気でした。常子さん、素敵なお人柄ですね。
私は昨年、地元のエリザベト音楽大学を定年退職しましたが、今後、ウィーンへ行って常子さんに色々な所を案内していただきたいと思っています。
この度は、宝塚、松江でのご講演を拝聴させて頂きました。
イップ様のご講演を聞かせて頂くのは、オンラインも含めてこれで3度目となります。/p>
1度目は広島にてハプスブルク家の女性たちについて、2度目はオンラインで画家のアルブレヒトデューラーについて、そして今回のクーデンホーフ光子女史について。
前2回のご講演については、わたくし自身、学生の頃に歴史で学んだり、個人的に美術館巡りが趣味であることもあり、ある程度知識のある方々のお話でしたが、今回聞かせて頂いたクーデンホーフ光子女史とそのご家族に関しての知識はまったくといっていい程ありませんでした。
彼女が偶然のきっかけからヨーロッパの、しかも伯爵家に嫁ぐこととなったストーリー、一見華やかできらびやかに見えていても、実際には大きな決断と覚悟、そして計り知れないほどの苦労があったことは容易に想像できます。現在ではよく耳にする「国際化」を100年も前にたった一人で成し遂げた強く美しい女性に、わたくしも自ら行動することの尊さを改めて考えさせられました。
以前に、フランスでバカロレア試験に女性で初めて合格したシモーヌドボーヴォアール(サルトルの恋人だったでしょうか)の書籍、伝記を読んだ時に感じた、女性が女性として人生を切り開いていくさまを、今回のご講演の光子女史の中にも見つけたような気がします。
また、イップ様のご子息のちょっとした行動、そしてキッコーマンのボトルという素晴らしい偶然が、イップ様とクーデンホーフ光子女史を結びつけるご縁になったというイントロダクション。これは、イップ様が光子女史のストーリーを語られる上で、この上ない「スパイス(醤油はスパイスでしょうか??)」になっていると感じました。
そして、後半は、7名いるご子息ご令嬢のそれぞれの人生に焦点をあてたご講演。パン・ヨーロッパ構想を唱え、現在のEUの父と言われるリヒャルトクーデンホーフ氏、兄弟が光子女史から離れていく中で最後まで氏に寄り添ったオルガなど、光子女史とその7人のご子息ご令嬢のお話を、イップ様らしい楽しく軽快なストーリーで伺うことが出来、とても豊かで興味に満ちた時間を過ごすことが出来ました。
わたくしは、絵画鑑賞が大好きで、月に最低一度は美術館に足を運ぶこともあり、光子女史のお孫さんであるミヒャエル・クーデンホーフ氏にとても興味を持ちました。イップ様のご講演を拝聴した後、彼について調べたところ、学派としては「ウィーン分離派」と記載されており、「あ、クリムトと同じ!」と思いながら、彼の絵画をいくつか(ネット上ですが)拝見しました。
なんて素敵な絵画の数々でしょう!日本の神社などの風景(建物)画もあります。パステル画でしょうか、全体的にはフワッとした色調ですがその中に強い主張があり、風景の写実もどこかで作者の心の中と繋がっているような印象を受けました。とにかく、とても好きになりました。東日本大震災に寄せて描かれた「The Dragon of Hope」は、希望を載せて画面から飛び出すような迫力でうねる龍に、慈悲に満ちた観音様とその観音様を載せた龍を描いた日本絵画「騎龍観音」の龍が重なりました。
また、イップ様のご子息のちょっとした行動、そしてキッコーマンのボトルという素晴らしい偶然が、イップ様とクーデンホーフ光子女史を結びつけるご縁になったというイントロダクション。これは、イップ様が光子女史のストーリーを語られる上で、この上ない「スパイス(醤油はスパイスでしょうか??)」になっていると感じました。
そして、後半は、7名いるご子息ご令嬢のそれぞれの人生に焦点をあてたご講演。パン・ヨーロッパ構想を唱え、現在のEUの父と言われるリヒャルトクーデンホーフ氏、兄弟が光子女史から離れていく中で最後まで氏に寄り添ったオルガなど、光子女史とその7人のご子息ご令嬢のお話を、イップ様らしい楽しく軽快なストーリーで伺うことが出来、とても豊かで興味に満ちた時間を過ごすことが出来ました。
わたくしは、絵画鑑賞が大好きで、月に最低一度は美術館に足を運ぶこともあり、光子女史のお孫さんであるミヒャエル・クーデンホーフ氏にとても興味を持ちました。イップ様のご講演を拝聴した後、彼について調べたところ、学派としては「ウィーン分離派」と記載されており、「あ、クリムトと同じ!」と思いながら、彼の絵画をいくつか(ネット上ですが)拝見しました。
なんて素敵な絵画の数々でしょう!日本の神社などの風景(建物)画もあります。パステル画でしょうか、全体的にはフワッとした色調ですがその中に強い主張があり、風景の写実もどこかで作者の心の中と繋がっているような印象を受けました。とにかく、とても好きになりました。東日本大震災に寄せて描かれた「The Dragon of Hope」は、希望を載せて画面から飛び出すような迫力でうねる龍に、慈悲に満ちた観音様とその観音様を載せた龍を描いた日本絵画「騎龍観音」の龍が重なりました。
一度実物の絵画を拝見したい、と心から思いました。定期的に東京で彼の回顧展が開催されているようですので、次回の開催時には必ず足を運びたいと思います。
次回のイップ様のご講演がとても楽しみです。以前に拝聴した「ハプスブルク家の女性たち」についてもう一度イップ様のお話が聞きたくてたまりません。クリムトやシーレなどのウィーン分離派の画家について、またその歴史についてもお話を聞かせて頂きたいです。
そして、是非一度イップ様にご案内頂きながらウィーンの街を観光してみたいです。オーストリアのウィーンは、数々の素晴らしい芸術家が何世紀にもわたって素晴らしい芸術の歴史の糸を繋いできた場所であり、私にとっては華やかな憧れの場所です。実はコロナ禍の少し前に、当時19歳だった一人息子と、ポーランド、オーストリア、ドイツを旅行したいね、と話しておりました。余談ですが、その時には、彼は、ポーランドのダンツィヒ(ドイツ語名でしょうか、グダニスクが正しいかもしれません)に行ってみたいと申しておりました。
ウィーンを訪問出来た時には、ウィーン分離派の建物に展示されている「ベートーベンフリーズ」の本物が見てみたいです。(2年前に日本の「クリムト展」でコピーは鑑賞しました)
本当にこの度は有難うございました。またもしオンラインでご講演をされる時には必ずお知らせください。そして、わたくしがそちらにお伺いすることがあれば、真っ先にご連絡させて頂きます。次回お会いできることを心より楽しみにしております。
母とその友人達が、私が住むウィーンを訪ねてくる、さてどうしたものか。 そんな時の大使館の友人の一言でした。 イップさんに連絡したところ、評判通りの方でした。 母の友人の一人は旅行直前に足首をくじき、長時間歩くのは難しい。この状況では車椅子が必要になるかもしれないと悩んでいた時も、イップさんがすぐに解決してくださいました。 「我が家にある車いすをお持ちしますのでお使いください」 最終的には車いすを使わずに済みましたが、イップさんのこのご配慮がいかに心強かったかは言うまでもありません。 私たちはウィーンの森とシュンブルン宮殿と、2日間お世話になりました。 中でも、「ウィーンの森」ツアーはとても記憶に残るツアーでした。ここでは、シューベルトが菩提樹を作曲した場所、ゼーグロッテ(ヨーロッパ最大の地底湖)、ハイリゲンクロイツ修道院(世界最古のシトー派修道院)、マイヤーリング(ルドルフ皇太子が謎の死を遂げた館)、バーデン(ベートーベンの家などがある保養地)を案内して頂きました。 特にゼーグロッテという地底湖はとても神秘的な場所でした。こんな場所がウィーンにあるとは想像もしておりませんでした。しかもここに、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツが欧米の偵察の目を逃れるため、軍事工場として使用していたとは。強い衝撃を受けました。 限られた時間の中で、イップさんが個々の歴史的背景について魅力的にそして分かりやすく解説してくださいました。 知識の豊富さはもちろん、人を惹きつけるイップさんの語り。 たくさんの日本人の方にこの語りを聞いていただきたいです。 |
2007年から2012年までの5年間、夫の赴任に伴ってウイーンに居住しました。 10年ぶりのウイーンで最初に訪れたのはステファン教会です。私の住んでいた5年間は常にどこかにネットが張られて工事中だったステファンが綺麗な姿になっていました。 知人や友人がまだたくさんウイーンにいるのでランチやディナーの予定が多かったのですが滞在の終盤に、イギリス在住の友人と私達夫婦はIppさんに案内してもらい、ハプスブルク朝の盛衰を知ることのできるカプツイーナ納骨堂と名画が数々ある美術史美術館を見学しました。IPPさんの豊富な知識と丁寧な説明で充実した時間でした。 Ippさんと私は同い年で、私が住んでいた5年間にプライベートでも良き友人で今回もお仕事以外でも楽しいランチをすることができました。Ippさんは50年にわたるウイーン生活で色々とご苦労もあったと思いますが、彼女の勉強熱心さ、活発さ、ウイーンを愛する心に感心するばかりです。これからも、たくさんの日本の方々にウイーンの歴史の深さと魅力を伝える仕事に邁進して下さい。 |
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2022年6月中旬からおよそ1週間の予定で、仕事でウィーンを訪れました。
仕事の合間に見た街並みや雰囲気はとても新鮮で素敵でした。
また、「音楽の街」だけあって、ストリートで奏でる楽器もバイオリンやチェロなど優雅なひと時を過ごせる場所だと感じました。
当時は帰国する際、コロナ検査の陰性証明が必要でした。
そこで不運にも陽性になってしまい、不安の中で療養生活を余儀なくされました。
帰国ができない中、助けになったのが常子さんでした。
勤務している会社が、在広島オーストリア名誉領事館を兼務していることから、以前から親交のあった常子さんにコンタクトをとり協力していただきました。
日本語が話せる安心感とちょっとした世間話など帰国までの不安を取り除いてもらいました。
滞在期間はおよそ1か月と短かったですが、とてもウィーンに魅了されました。
常子さんはオーストリア国家公認ガイドでもいらっしゃるので安心してオーストリアの魅力を満喫できると思います。
その節は素晴らしい講演ありがとうございました。
文明西と東のお二人の対談についての感想になってしまいますがご了承くださいませ。
対談が行われた50年前も 人類の破滅をもたらす核戦争や環境問題等々 どうしたら克服することができるか、そうした危機に直面した時代でした。その中にあって お二人の共通の思いは 戦争ではなく「生命」を選択しなければならないということではなかったでしょうか。博士も深い認識を与える高い次元の宗教の必要性をと。
生命の尊厳 という普遍的な思想が博士の根底にある宗教観、生命観と相通じていったのではないでしょうか。対談でも 池田先生は 私たち1人1人の中に潜むナショナリズムを克服し、生命を「尊厳ならしめる」努力が必要であることを強調しています。
心のありようが問われる今こそ 、そして 移ろいやすい人の心に「戦争ほど 残酷なものはない 戦争ほど悲惨なものはない」という変わらない 価値観、心のありようをつくり出していく。これが世界中の人達の挑戦と思います。博士も民族や国境を超えて 手を握り合っていく人が、平和を願う人達が世界中にもっともっと沢山沢山たくさん 増えたなら 満面の笑みを浮かべて喜ばれることでしょうね。
平和を望む人たちのほうが 多数派であること、世界中にいること 信じて 疑いません。
池田先生は 人間が、本来持つべき価値観とは、偏狭なものであってはならない。自分の利欲さえ満足させればよいという極端な利己主義は当然のこと、1集団、1国家、1民族ひとつのイデオロギーのためのものであってもならない、偏狭な価値観こそ、過去において、戦争を引き起こし、また社会の矛盾と不合理を形成してきた元凶であったことを忘れてはならない。とおっしゃっています。
50年ぶりに お二人の対談集に触れ 地球共通の諸問題を思索する機会を頂き イッブ常子様に 心より感謝申し上げます。 本当に ありがとうございました。 ますますのご活躍とご健康をおいのりもうしあげます。
友人からのご紹介で、Ipp常子さんのオンラインご講演を拝聴したのは、今回で2回目です。
前回同様、パワフルな語り口と切り口のユニークさに毎回堪能させて頂いております。
この10年間は、仕事の関係から、中国、東南アジア、インド、アフリカ辺りが関心の中心となり、オーストリア ウィーンは、シュテファン・ツヴァイクではないですが、「昨日の世界」でした。
数年前、イタリアオペラ好きから、自らさわかみオペラ芸術振興財団まで設立して、日本国内名所旧跡でのオペラ開催、若手のイタリアオペラ留学などを手がける澤上篤人さんに誘われ、イタリアを中心としたオペラ鑑賞ツァーのおりに、当時、知人のチェコ大使をプラハに訪ね、オーストリアウィーンにも立ち寄る試みをしましたが、その時、Ipp常子さんの知己を得ていれば、素晴らしい旅行になったであろうと、大変残念です。
最近、自分なりに死生観を構築しようと、関連する本などを乱読しましたが、その中で、養老孟司さんの「身体巡礼」「骸骨考」というヨーロッパ各地のお墓、骸骨寺院巡りを読み、西欧への視点が新たに加わり、大変面白く思いました。 Ipp常子さんには、これからも長年のご経験をベースにいろいろな視点から、情報発信をされ、我々の視野を広げていただくことを期待しています。
追伸Ipp常子さんのオンラインご講演は、私が主宰しています公益財団法人 新産業創造研究機構NIROリモート勉強会関係者など友人知人にも推奨し、定年を迎えヨーロッパ旅行を計画している友人知人には、Ipp常子さんホームページを参考するように伝えています。以上
この度は前回に続きネットでの上記記念講演に参加させていただき、大変ありがとうございました。昨年10月にショパンコンクールのタイミングでの講演会に、学友福味さんのご紹介で参加させていただいたご縁で、このような貴重なお話をお聞きする機会に恵まれていることに感謝申し上げます。
EU統合の先駆者としてカレルギー伯のお名前は皆さん存じ上げているかと思いますが、彼が日本人女性の次男であったというようなお話はあまり知られていないようです。
ですので、今回の青山光子さんのお話は、大変興味深く拝聴しました。明治の日本人女性の凄さを見せつけられました。
大和撫子という表現は柳腰の可憐で従順な日本女性という表面的なイメージになりがちですが、彼女は、その芯の強さ、中身の強さを持ち、柳の木のように真の強靭さと柔軟性を持った女性であったと想像させられました。
今回の講演は、彼女の息子さんに焦点が充てられた講演でしたが、明治のまだ封建社会の中で生まれ育った普通の日本女性が、周りの猛反対を押し切り、見染められたカレルギー伯に応えて、駆け落ち同然状態で身寄りのない未知の世界に乗り出すという、その生き様に強い印象を受けました。
講師の常子さんも、その探求心と情熱を持った語り口に、もしかして荒波を越えての今日があり、人を圧倒させるような魂をお持ちなのではないかと思っています。
今後も、沢山、貴重なメッセージを配信されますことを楽しみにしておりますので、どうぞ、よろしくお願い致します。
リヒャルド・クーデンホーフ=カレルギー伯の父は、オーストリア・ハンガリー帝国特命駐日代理公使ハインリッヒ・クーデンホーフ=カレルギー伯、母は日本人青山光子で、お二人は7人の子どもに恵まれました。
リヒャルド・栄次郎・クーデンホーフ=カレルギー伯は次男で、1894年東京で誕生しましたが、講演の中でなぜリヒャルドがオーストリアの欧州統合の先駆者となったのかと考えさせられました。光子の夫が1906年に心臓発作で急逝した時、リヒャルドはまだ12歳で、光子はどれほど心細かったことでしょう。
人種差別もある中、彼女は異国の地で7人の子どもを育て、特に子どもたちの教育に力を注いだことが大きかったと思います。
子どもたちは、異文化理解の重要性を、光子から自然に理解していったことでしょう。
講演では、やはり何よりも母親の光子の生き方に深い感銘を受けました。グローバル社会と言われる今日、国際結婚は珍しいことではありませんが、19世紀末の結婚生活での苦労は、想像以上であったと思います。
最後にIpp 常子さんご一家の素晴らしい写真を見せていただき、また彼女の美しい日本語に感銘を受けました。コロナ禍で大変ですが、今後のご活躍を願っています。
ブラームスと言えば子守歌、ハンガリア舞曲くらいしか思い出さない知識でしたし、「教科書でみたくらいの人」という印象でしたが、この度の常子さんのお話で、とっても身近に感じられるようになりました。
家系図も面白いですね。どこかで繋がっていると言う事がよく分かりました。こう言う事が分かるとさらに楽しめますね。お話で紹介された楽曲を一つづつ聴いてみました。AGATHEでは音を注意しながら聞きました。教科書では「AGATHE」の音階が使われている。とだけで、こちらもふ〜んそうですか。
くらいで終わりますが、常子さんのお話でブラームスの惚れやすさのようなものを感じているので、音階が聞き取れると、こちらも「ふふふ・・・」とちょっといたずらな気分で楽しめました。
クラリネットやALTの楽曲は日頃ほとんど聴いてみようという意識はありませんが、作曲にあたってのエピソードを思いつつ、今回は興味をもって聞くことが出来ました。
常子さんのお話はいつも分かりやすくて主人公の「人となり」が感じられ、私の興味の扉を開けて下さいます。
講演後、ブラームスの生涯について簡単な文書を読みましたが、お話を伺がっているので、無機質な文章のその裏にある、ブラームスの感情が感じられました。
次はどなたでしょう?という期待も高まっています。ヨーロッパの歴史や人物に対して少しづつ知識を高めて、常子さんのお話がさらに楽しめるように準備致します。
先日、Ipp・常子女史のリモート講演による「ヨハネス・ブラームス没後125周年」を受講させていただきました。
私はリモートによる受講は初めてで不安でしたが、ご丁寧な同女史のリモート手法を学び、最後まで大変興味深く拝聴させていただきました。何よりもブラームスの膨大な資料を提供頂いた事に深く感謝しております。
まるで大学での講座を受講している様でした。私はドイツ人が大好きなBach、Beethoven、Brahmsがドイツ3大Bということは昔から知っておりましたが、今回の「ブラームス没後125周年記念講演」でその意味がよく理解できました。
ブラームスの両親がかなり年齢の違う(母親、ヨハンナ・ヘンリーカ・クリスティーネ・ニッセンは夫より17歳年上)ことだけは知っておりました。
そのことがブラームスの生きざまに(特に本人の結婚)に影響していたのではとも思い、シューマンの妻、クララへの母性愛を感じます。ブラームスとクララの愛は単なる母性愛と考えれば男女としての恋愛には進展しなかったと私は理解しておりますが、小説家の故・五味康祐氏はこの二人からは間違いなく男女の愛欲が感じられ、その事を察知した夫、シューマンを死に追いやったのではと推察しております。
話としては面白いですが、やはり真実は分かりません。まあその方が後の研究者には興味の尽きないところでしょう。ついでながら、ブラームスの子守歌に言及されておりましたが、今回の講演でこの曲はブラームスが心からひそかに愛していたベルタという女性が結婚し、ウィーンに引っ越した時、ブラームスも彼女の後を追うように、しかし真実は偶然だったかもしれませんが、2人はウィーンで再会し、ウィーンで再び協力し合って合唱団を指揮してゆくつもりで彼女に相談すると、彼女からの答えは「2人目の子供が誕生」ということを聞かされ、その後ブラームスはあの有名な『ブラームスの子守歌』を作曲したそうです。
オンライン講演中にその『ブラームスの子守歌』の曲が流れ、染み染みとブラームスの作曲した背景を想像しながら鑑賞いたしました。
私にとってブラームスはクラシック音楽の世界でもとりわけ身近に感じる作曲家であって、昔からフランソワーズ・サガンの「ブラームスはお好き」なども好んで読んできた一人でもありました。
イップさんの講演会ではブラームス・シューマン・クララ、の秘めたる愛のエピソードを様々な角度からその想いを語って下さり、若かりし頃の我が身と重なって、メランコリックな気持ちを湧きたてて下さいました。
イップさんは背景に数々の写真を配して、ブラームスと向き合っているかのような感じがとても現実的でした。講演会にはたくさんの方が参加され、皆さんもきっと私と同じような想いをされていたのではと感じた次第。
ブラームスはクララを生涯想い続けていたことがとても印象的で、遠い日のわが身と重なりました。
海外出張ばかりの仕事ですが、いつもブラームスの歌曲集を持ち歩き、ヘルマンプライにはとても及ばない声を張り上げ、特に好きな「Sonntag」を歌っては遠い日のライン河畔で歌ってくれたソプラノ歌手との淡いロマンを想い出しています。
これまで毎年ザルツブルク音楽祭へ出かけてました。とりわけ交響曲第1番の演目に合わせて通っていました。
イップ常子さんの博識の豊かさに感服と共に、あらゆるジャンルでの語りはいつも心を豊かにしてくれるのみならず、「生きる叫び」であると私には伝わって来るのです。
直接お目にかかれない現在、今回のようなツールによって今後もさらに企画して頂けること願ってやみません。
そう、私も「老いらくの恋」に今からスタートだ!エネルギーが湧いて来ました。
2022年2月26日、ZOOMでのオンライン記念講演に参加させていただきました。
1時間20分の講演で、イップさんはたくさんのスライドを画面いっぱいに紹介しながら、よどみなく、丁寧でわかりやすい説明をしてくださいました。
講演では、ロマン派を代表する作曲家ヨハネス・ブラームス(1833-1897)の生涯と、彼の人生に影響を与えた女性たちについて紹介されました。ブラームスの生い立ち、家庭環境、音楽との関わり、ウィーンでの暮らし、それらにまつわる人間関係、さまざまな要素が絡み合って誕生した数々の名作、趣味である読書や旅行の話などにも触れられました。
中でも、さまざまな女性との人間模様について、詳しく紹介されました。
ブラームスの生涯で最も大きな存在の女性は、恩師シューマンの妻クララです。14歳上のクララとは、じっこんの仲。とは言っても、ブラームスは彼女だけを愛していたわけではなく、アガーテ・フォン・ジーボルト、ヘルミーネ・シュピース、アリス・ローラ・バルビらとの恋愛がありました。
どの恋も結実することはありませんでしたが、それらの経験が次なる作品への糧となり、「失恋後に名作が誕生する」という結果を生んだことは、「人生経験を積む」ことの重要さを感じました。
ブラームスが生きたのは、日本でいうと幕末から明治の時代です。私はその時代を当然見たことがないわけですが、イップさんの明快な導きのおかげで、まるでその時代を生きているかのような感覚に浸ることができました。
また、パソコンの画面越しでは、参加された皆さんが大変楽しそうにされていたのが、とても印象的でした。リアルで自由に移動できる日を、強く待ち望んでいる気持ちが伝わってきました。
講演の最後に、イップさんがベンジャミン・フランクリンの言葉を紹介してくれました。
「今日できることを明日に延ばすな。今、やることが明日への成功の近道かもしれません。」
コロナは収束のめどがたたない状況ですが、「希望」を失わず、「今」を大事にして生きていこうと心がける次第です。
家族で参加したイップさんのガイドツアー、ブルゲンラントにて |
先日は、オンライン講演「ウィーンの魅力とロングステイ」に参加させて頂きありがとうございました。我が家は夫の仕事都合で、3年ほど前からオーストリアに住んでいますが、子供に手がかかることとコロナ禍もあり、あまり観光など出来ない現状です。なので、今回の講演会をとても楽しみにしていました。
ウィーン郊外に住んでいるので、ウィーン市内も未知の場所が多いのですが、ザルツブルクもイップさんのお話を聞いてとても行ってみたいと思いました。見せて頂いた写真もどれも魅了されるものばかりでした。
私がとくに興味をもったのは、昔の宮殿やお城などを維持していくために、現在は宿泊できるようになっていたり、宮殿のバロック様式の庭園がゴルフ場として活用されていることでした。プリンセスが大好きな娘と一緒に、いつかお城に宿泊できたらいいなと楽しみが増えました。
イップさんとは、同じ広島出身で、オーストリア人との国際結婚で、今の住まいもご近所で、出会いに感謝しています。これからもガイド話はもちろん、人生話などたくさんお聞かせくださいね。
先日のオンライン講演「ウイーンの魅力とロングステイ」興味深く拝聴いたしました。学生時代からの友人Tさんと旅行したウイーンの街を思い出しながら、「地球の歩き方」や地図を広げてしばしの旅行気分のひとときを味わうことができ、大変ありがとうございました。ウイーンの歴史や交通、生活についての、特に固い歴史本には載っていないエピソードも交えられたお話はまた行きたいなと思うほど楽しいものでした。旅行は歴史を知っているほど面白いと思うけれど、本を読んでもなかなか歴史は身につきません。エピソードの部分が後押ししてくれるようです。
旅行したのは6年も前のことでウイーンの思い出も遠くなった頃でしたので、この機会をいただき感謝しております。講演を聴きながら、10年前に個人旅行で、イギリスのevan evansツアーでカンタベリー方面へ行った時のガイドさんを思い出しました。日本に留学したというブレア首相似のガイド氏は、日本人のような日本語での博識な内容、ユーモアに満ちた話しぶりでした。ヨーロッパのガイドは所謂エリートで、なるのは難しいとよく聞いていました。優秀なガイドとしてこれまで活躍されてきたIppさんを敬服いたします。
昨年コロナ禍の11月のウイーンフィル日本公演のことに触れられましたが、私も夫と小倉まで聴きに出かけました。入場時全員マスクで私服、いつもと違う雰囲気です。初めに前日のテロの犠牲者のために一緒に黙祷を捧げました。8番目の席、TVで観るように近くで完璧な演奏に感激、「普段着のニューイヤーコンサート」に来たみたいだと嬉しくてたまりませんでした。20代の頃、熊本でのアバド氏指揮のウイーンフィルにも行ったし、先のウイーン旅行で楽友協会でのコンサート(フィラデルフィア響)を聴いたし、Ipp常子さんにも出会えたし、ウイーンに関われて嬉しいです。
コロナが収束してまたいつか、ウイーンの街を歩くことができたら最高だろうなと思います。今度行くときはロングステイ。Ippさんお薦めのシェーンブルン宮殿近くのアパートホテルに滞在してみたいと思いますが、滞在中、せめて一晩ぐらいは宮殿の一部を改装してスイートルームが誕生と聞きましたので、マリア・テレーシアや美貌のエリーザベト皇后を夢見て素晴らしいウィーンならではの体験もトライしてみたいと願っています。ウィーンの街を思う存分、地下鉄、トラム、バスを駆使し、スケジュールはゆったりと、ひとつひとつを楽しめるようなゆっくりと暮らすようなそういう旅をしてみたいものです。
オンライン講演も初めて経験しました。講演後、Ippさんに一言感謝の言葉をと思うも、どうすればいいかわからずそのまま退出キーを押して失礼しました。次回はブラームス講演を計画されておられるとか。またその時を楽しみにしております。
シェーンブルン宮殿をバックに、 (取材スタッフと共に 2003年) | |
久しぶりにイップさんの元気なお姿を拝見いたしました。いつもの熱い情熱が健在で、感激いたしました。限られた時間内ですが、出来るだけたくさんの情報を届けたいというイップさんの気持ちが伝わり、少々駆け足ではありましたが、オーストリアの魅力を自宅にいながら、いっぱい頂き楽しませて頂きました。
私の勤務していたテレビ局が、在日本オーストリア名誉領事館を兼務していたことから、広島ご出身のイップさんとは、本当に長いお付き合いをさせて頂いています。今回の講演を聞いていて、思わず18年前に番組制作でオーストリアに伺い、イップさんに、通訳兼番組コーディネイトでお世話になった時のことを思い出しました。観光ではなく、取材というビジネスでの訪問だったので、ゆっくりと観光することは出来なったのですが、当時の印象として、音楽の都であるのに街の中は本当に静かで、日本のようにどこからかBGMが流れてくることもなく、「ゆっくり、のんびりと生活ができる所だなあと。」感じたのを覚えています。イップさんの講演をそんな思いで、当時を思い出しながら聞いていました。
リーデル本社にて (インスブルグ) | |
シェーンブルン宮殿や王宮、路面電車が走るリンクの街並み等、今も変わらず訪れた観光客を魅了しているのですね。一方で、その時には訪れる事が出来なかった、現代アートの建物もご紹介して頂き、新しいウィーンの街並みに驚くとともに、新しい魅力にも触れさせていただき、楽しむことが出来ました。当然のことながら音楽の都であるので、ベートーヴェンやモーツァルトのゆかりの地がたくさんあって、そんな場所も今回はZOOMではありますが訪れることが出来ました。もし今一度、オーストリアを訪ねる機会に恵まれる事があれば、ゆっくりと時間をかけて、かつての英雄を偲びながら、当時の時代を振り返り散策をしたいと思いました。
最後に、思いがけずの可愛いお孫さんの登場や、お幸せそうなご家族の写真なども紹介され、たった一人でオーストリアに行かれたイップさんに、数十年という月日によって、これほどまでの素晴らしい宝物が与えられたことに、イップさんのオーストリアでのご活躍を思い感動いたしました。ありがとうございました。
はるばるウイーンから、デューラーのすばらしい絵画をご紹介頂き大変感動し、感謝申し上げます。
絵画と言えば大体はフランス近代の印象派の一連の作品の展覧会が多く催されるのですが、ドイツ絵画にはあまりなじみが無かった印象でした。
しかし当日のIpp常子さんのご講演の中で一連のデューラーの絵画等を紹介頂き、またその後デューラー関係の資料などを参照すると、デューラーは当時のイタリア美術界のラファエロなどとも関係を持つ中でルネサンス美術の影響を受け、ドイツ・ルネサンスにおけるもっとも重要な画家と称されている事を改めて認識しました。
デューラーの絵画を一覧すると、当時のイタリア美術に比較して純粋な宗教画よりも人物画特に自画像・肖像画が多いことに特徴が見られ、また風景画も描かれている。風景画が描かれるようになったのはもっと後年のイギリスにおいてかと思っていましたが、相当早い時期からモチーフの選定をしていたことが分かります。
この辺りに単にイタリア絵画を導入するだけでなく、独自の画風を切り開いたデューラーの新進性が伺えるのではないかと思いました。
歴史的にデューラーの時代を考えると、ルネサンスがイタリアに起こり、それがアルプス以北に伝播して行ってそれ以降北ヨーロッパの人文主義が発展した丁度時代の変わり目の、すなわち中世から近代に代わる頃の時代背景がありました。時代と絵画の相関と言う点でも興味ある講演でした。
先日は、デューラーの生誕550周年記念講演を拝聴させて頂き、誠に有難うございました。
画面越しではございましたが、イップ様のお元気そうなお顔を拝見し、日本でお会いした時のことが懐かしく思い出されました。
このようなコロナ禍においても、Zoomを使ったオンライン講座という新たな試みに挑戦されているイップ様に、そこはかとないエネルギーを感じました。
また日本から遠く離れたオーストリアの地が、講座が進むにつれて、不思議ととても近くに思えました。
まずはお礼のご挨拶が遅れてしまいましたこと、お詫び申し上げます。
お申込みの際のメールにも書かせて頂きましたが、わたくしはイタリアルネサンスよりも北方ルネサンスの芸術に非常に興味を持っておりました。しかしながら、デューラーに関しましては、ルネサンス期のドイツ芸術に、イタリアの風を吹き込んだ画家として、数点の絵画を見知っている程度でした。
わたくしが「野うさぎ」という絵画を始めて見た時(3年ぐらい前だったと思います。)の書籍の見出しが、「これはどこで描かれている?」というもので、講演でイップ様がお話されたように、うさぎの目にアトリエの窓が描かれているということに非常に衝撃を受けたことを覚えております。
あとは、あの絵画が水彩画であるということ。
普通水彩画があの美しさで500年以上も保存されているというのは奇跡ではないでしょうか。
デューラーがマクシミリアン1世の宮廷画家であったということは、この絵画が、長きにわたってハプルブルグ家にとても大切に扱われてきたということなのでしょうか。
また、うさぎの美しく柔らかな毛並みに相反するような緊張した姿勢。あのうさぎはジャンプする直前の体をこわばらせた状態ではないか、と勝手に想像しておりました。
そして有名な真正面の「自画像」。デューラーが自画像を描いた最初の画家ということでしたが、その後のどの画家の自画像を見てみても、あれほど真正面で、堂々として自信にあふれた自画像をあまり見たことがありません。絵画に多くの制約があった時代に、ある意味のタブーを破って描かれた、まるで「自分は神である」とでも言いたそうな自画像に、デューラーのある意味での「人となり」を感じました。
「祈りの手」については、イップ様が話されたエピソードに感動致しました。お話を聞く前と聞いた後では、作品自体がまるで違うもののように感じました。自分を犠牲にしてデューラーの画家としての成功に労を惜しまなかった友人に対し、デューラーがどのような気持ちを込めてあの作品を創作したのか、あのエピソードを知らなければ、「祈りの手」という作品のタイトルもそれほど心に響かないものだったと思います。あの作品が「祈りの手」である意味を教えて頂き、実際に目の前で作品を鑑賞したい気持ちが強くなりました。
デューラーの人生、また、水彩画、油絵、版画など、いろいろな絵画をご紹介頂き、すべてをとても興味深く拝聴させて頂きました。
非常に有意義な時間であったと心より感謝致しております。
ヨーロッパの絵画の歴史は、キリスト教というバックグラウンド、またどのような人たちがパトロンになるかということで変遷してきたと理解しております。
カトリックの教会を装飾する美しく大きな絵画、教会(教皇)がパトロンとなり、キリスト教流布のプロパガンダ的な役割を担っていたのでしょうか。宗教改革の後、プロテスタント国家になったオランダでは、フェルメールに代表されるような、部屋を飾るのに適した小さな風俗画(宗教的な意味も含まれていると思いますが)や、毛織物業の繁栄などによって豊かになった商人がパトロンとなり、集団肖像画(日本ではレンブラントが有名です)が流行ったのだと聞いたことがあります。お隣のベルギーでは、巨匠ルーベンスの描いた教会画がとても有名です(日本ではフランダースの犬のラストシーンに出演したことで知名度が上がったようです)が、あれほどドラマティックな絵画が称賛されたということは、カトリックが勢力の巻き返しに躍起になっていたのかな、とも思われます。
西洋美術に興味を持って学んでいると、歴史にも自然と興味が湧いてきて、学生時代よりももっと熱心に歴史の本にかぶりついてしまいます。もっともっと多くのことを学んでいきたいです。
あと、ルネサンス期、それに続くマニエリスム、バロックに至る時代に関しては、絵画鑑賞には聖書やギリシア神話の知識が不可欠になってきます。絵画鑑賞は、感情的なことだけではなく、より多くの知識や教養を身に付けることで深みが増し、一層楽しくなってくると感じております。アトリビュートが面白くて、今いろいろと学んでおります。絵画を見て、アトリビュートを探し、それが誰なのか当ててみたりしております。
歴史と絵画(文化、芸術)の絡み、聖書やギリシア神話のお話など、そのあたりのご講演もいつか拝聴させて頂きたいと思いました。
また、時代はまったく異なるのですが、オーストリアというと日本でもっとも有名な画家は、グスタフクリムトです。
(先日東京、愛知でクリムト展が開催され、ベートーベンフリーズも再現されておりました。大盛況で確かな人気が見て取れました。)
クリムト、シーレといったウィーン分離派の講座も是非拝聴させて頂きたいです。
エミーリゲフレーゲとの恋の話、特にわたくしの大好きなユディトの解説などもイップ様の楽しく引き込まれるような講演で是非お伺いしたいです。
いろいろとリクエストばかりを感想として述べてしまいましたが、今回講座を拝聴して一番強く思ったことは、ヨーロッパに行って実際に文化や歴史に触れてみたいということです。(実はイギリスとアイルランド以外行ったことがありません・・)ヨーロッパといっても、長年鎖国をしていた日本とは違い、それぞれの国にそれぞれの文化があり、宗教観の違いや民族同士の対立から幾度となく戦争を繰り返し、現在に至っているのだと理解しております。本当はすべての国を訪問し、すべての美術館や宮殿などの歴史的建築物を訪れてみたいのですが、まずはオーストリア訪問を目標にしたいと思います。そして、美しい街並みや空気感そのものを五感で存分に堪能してみたいです。イップ様ともオーストリアの地でお会いすることが出来れば、それほど嬉しいことはございません。
末筆になりますが、この度の機会は、弊社(小松電機産業)社長である小松社長からのご紹介により持たせて頂くことが出来ました。このような素晴らしい機会を頂きましたことに関して、イップ様はもちろんのこと、小松社長にも心より感謝申し上げます。
イップ様の今後の益々のご活躍を心よりお祈り申し上げます。
6/19(土)16:00から、「アルブレヒト・デューラー生誕550周年記念講演」を聴講させていただき、ありがとうございました。
また、当日は大勢の聴講者の方、次のスケジュールもあり、ご挨拶も出来ず失礼しました。
ウィーンのご自宅からのLIVE、久しぶりにイップさんの元気なお姿とデューラーにまつわるお話を興味深く拝聴し、あっという間の1時間20分でした。
私たちは、デューラーについて世界史の授業で学んだ、中世ヨーロッパのドイツ・ルネサンス期を代表する画家として名前を知っている程度の知識でした。
そこで、講演前にデューラーについて調べた上で、講演でのイップさんから話を伺ったことで、作品の中に自分を描いたり・文章入れたりするユニークさや、新たな試みを感じる多くの作品の存在がすっと頭の中に入り、とても楽しい時となりました。
デューラーの生きた時代は、マーチン・ルターの宗教改革を機に中世封建社会の秩序が崩壊した大きな時代の転換期であったこと、当時のデューラーが時代の思想や社会的状況をどのように受けとめ、作品や文字を通して表現したのか、簡潔にお話しされたことで、とてもわかり易く、おそらく多くの方がもっと話を聴きたいと感じられた貴重な機会となったのではないでしょうか。
この様な学びの機会を紹介していただいた小松社長、浜菜さん、そして、私たち素人が興味を感じ、楽しく聴講できる場を創っていただいたイップさんに御礼申し上げます。
イップ常子さんの講演は過去何度か聞かせていただきましたが、いつも幅広い知識と温かいユーモア精神に溢れていて、「(聞けて)良かった!」というお得感があります。今回の講演は、その中でもぴか一でした。
名画の解説以外で、特に印象に残ったのは、デューラーの画家仲間ハンスの話でした。ハンスは、デューラーのイタリア遊学資金を捻出するため、身体を壊すまで働いてくれたそうです。絵筆を握れなくなるほど尽くすという思いは、個を超えています。この話を聞いたおかげで、「祈る手」とか、「アダムとイブ」とか、その他多くの作品に込められた価値がにわかに生気を放って感じられるようになりました。聴衆の心に訴えるこの技は、「芸(術)」と呼んでいいレベルの「イップ常子節」が持つ威力だと思います。
イップさんの「芸術レベル」の高さを感じたのは、今回が初めてではありません。数年前、「炎の人」というお芝居が日本でも巡回公演されました。世界平和運動の母ともいわれる、ベルタ・フォン・ズットナーの伝記を劇にしたものです。イップさんはその劇でナレーションを担当なさっていました。私は、たまたま立命館大学での公演を拝見したのですが、とても素人とは思えない、堂々として「愛情あふれる」語り口でした。
今回の講演会に参加された方はお気づきだと思いますが、「七番目の孫が生まれたんですよ!」から、講演会が始まりましたね。新しい生命の誕生と成長、この流れこそが芸術や宗教の本質であり、流転する万物に宿り、だれにでも分かる無条件の生命の喜びなのではないでしょうか。イップ常子さんの講演会には、いつもそんな誰にでも分かる生命力と説得力に溢れています。本当のプロです。
2021年3月30日にIpp常子さんが主催されたオンラインセミナー「ナポレオンを崇拝したベートーヴェン」を拝聴しました。
私は、もともと印象派の絵画に興味があり欧州、米国の主要な美術館を訪問したことがあるという程度で、テーマのベートーヴェンとかクラシック音楽には全く興味がない方です。COVID-19の感染拡大で、毎年楽しみにしていた欧州への旅行出来なくなり悲しい思いをしておりましたところ、知人の紹介でウィーンにて長年公認ガイドをされている常子さんのセミナーを知り直ぐに参加申込をいたしました。
常子さんからナポレオンとベートーヴェンの誕生から亡くなるまでを家系、生い立ち、皇帝と音楽家としての足跡、恋愛、結婚を含めてすべてに関してお話を伺いました。また、常子さんが二人の足跡を訪ねて撮影された数多くの写真を見せて頂きました。最近年のせいもあり集中力が持続しないのですが、1時間半のセミナーの間集中してお話が聞けました。
常子さんのご説明でのガイドとしての博識は驚くばかりでした。現地の大学教授でも常子さん以上にいろんな知識を広範に持たれた方はいないだろうと思いました。また、ナポレオン、ベートーヴェンと同時代に生きて傍らで見てきたのではないかと思えるほどでした。
COVID-19が収束して欧州訪問ができるようなったら、常子さんにお願いしてザルツブルグ観光をしてみたいと思っております。
常子さん、本当にありがとうございました。
常子さんとはヨーロッパの様々な場所を訪れました。どこを訪れてもその土地の歴史や文化を熱心に説明してくださいます。時には常子さんのハイセンスなジョークをも交えながら、いつも必ず楽しくて記憶に残るツアーになります。
ウィーンのツアーでは音楽学生(のはずの私ですが…)顔負けの膨大な知識で、新たな発見や驚きがありこの地で勉強できることがどれだけ幸せなことか改めて気付かせてもらいました。
私もこの美しくて豪華絢爛なウィーンが大好きです。常子さんとウィーンの街を歩くと本当に一歩一歩、歩く度に知識が増えるようです。自宅の近くにあのグスタフ・クリムトが眠るお墓があったり、大好きなシュトラウスのオペレッタ、コウモリを作曲した家がとても近所だったり!
毎日大学に通っていつも何気なしに歩いている旧市街にも思わぬところに看板があったりして自分では一生発見出来なかったような、本にもインターネットにもないようなお話をしてくださることが本当に嬉しくて感謝しております。
いくつもの分野の歴史が重なり合っているウィーン、かつてはハプスブルク王朝が数世紀に渡り大帝国を統治したヨーロッパの中心ですから学ぶべきことはたくさんあるはずなんです。
もったいない!といつも常子さんのツアーに参加する度に刺激されます。これからたくさん勉強して常子さんと大好きなウィーンについてたくさん語れたら嬉しいです💖
私たちはこの十数年で2回、併せて6年間ウィーンに滞在しました。覚えているだけでイップさんのツアーに10回参加しました。「第三の男」、「リヒテンシュタイン宮殿」、「マリアテレジア」関連などなど。ウィーンは大好きな街ですが、残念ながら、一昨年日本に帰国し、コロナ禍で旅行もままならない中、今回オンラインのナポレオン講演に参加いたしました。
イップさんのツアーの楽しさは何といっても周到な準備に基づいたお喋りではないでしょうか。時にはご自身でも吹き出しながら、本などを探しても出てこないような貴重なネタを話してくださいます。例えば、第三の男ツアーは、2回参加しましたが、焦点の当て方が全く異なった、映画撮影の裏話を伺いました。
昔の映画がいかに多くの制約の中で、細かいところに目をつぶり作られていたかということがわかったり、私たちの住んでいたアパートがどうやら映画に映っているようだったりなどということもありました。別のツアーでは、常軌を逸した、終焉前のハプスブルク家の人たちのおかしな生活や振る舞いに驚きました。
今回のナポレオンツアーでは、ウィーン滞在中、春には毎週のようにワインとアスパラを買いに行っていたウィーン郊外のかつての戦場マルヒフェルトに位置するいくつかの農村を懐かしく思い出しました。地域の美術館もいろいろ行く努力はしていたのですが、今回紹介いただいたのは知らないところばかりで、今後の目標が加わった感じがします。生誕地のコルシカ島にも行ったことないので夢は広がっていきます。今度は再びウィーンでお目にかかることを楽しみにしています。
写真のうちシェーンブルン宮殿は、今回の講義でもお話があったように、ナポレオンがウィーン占領中に滞在した場所ですが、グロリエッテのある丘からの景色のすばらしさをご紹介したいという趣旨です。石碑は、マルヒフェルトにあるものですが、神聖ローマ帝国皇帝となったハプスブルク家の皇帝ルドルフがボヘミア王オタカルを倒した古戦場でもあり、清々しく広々とした田園地帯が昔から戦をする適地でもあったのだと感慨がわいてきた次第です。イップさんが絵の前で説明されている写真は、クリムトツアーの時のものですが、ブルク劇場で発見された壁画の下絵についてご説明されています。
2019年年末、ウィーンに行きウィーンフィルハーモニー管弦楽団「ニューイヤーコンサートプレビュー」を聴くことができました。思いも新たにスタートした2020年でしたが、その直後、新型コロナウィルス(COVID-19)騒動が勃発、あっという間に世界を席巻しました。日本でも緊急事態宣言が発令、学校も休校となり身動きが取れなくなってしまいました。予約してあったコンサートも全てキャンセル・払い戻しです。
そんな中、6月、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団日本公演の情報が入り、演奏会がある11月にはさすがの新型コロナウィルス(COVID-19)騒動も終息しているに違いないと信じて予約しました。
10月になっても新型コロナウィルスは落ち着かず、演奏会の多くが相変わらずキャンセルされていました。ウィーン・フィル日本公演はといえば、「ただ今調整中です。今しばらくお待ち下さい。」とアナウンスされるだけでした。あきらめていたら、演奏会直前の10月30日になって、ようやく「公演開催決定」となりました。
今回のウィーン・フィルの日本での演奏会は、オーストリア・クルツ首相から日本の菅首相に直接の依頼があり、2週間の隔離期間がない代わりに、マスク着用、新幹線など交通機関は全て貸し切り、団員の自由行動の禁止、民間人との接触の禁止など、厳しい条件を付けて実現したそうです。
11月6日、大阪フェスティバルホールにウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会に行ってきました。入場制限のせいか、2700名定員で、約2000名の観客でした。ゲルギエフ指揮で(Ippさんにご案内頂いた、ウィーン・フィル・サマーフェスティバルの時の指揮者です。)、マツーエフのピアノによるプロコフィエフのピアノ協奏曲第2番、チャイコフスキーの交響曲「悲愴」などを聴きました。
全員がマスク着用で登場。演奏中はマスクを外しましたが、昨年末ウィーンで「ニューイヤーコンサートプレビュー」を聴いた時と同じ、ウィーンフィルらしい演奏を聴かせてくれました。
ウィーンフィルは指揮者のあらゆる要求に応える高い演奏技術と、団員一人ひとりの積極的な音楽への関わりと自信が感じられます。叩き付けるようなマツーエフのピアノ演奏、そしてウィーンフィルの演奏にも、音に豊かな膨らみのあるボリューム感あり、日本のオーケストラでは聴くことができない、フォルテ・フォルテ・フォルティッシモとピアノ・ピアノ・ピアニッシモを聴くことができました。時間が経つのを忘れる程、素晴らしい一時を過ごすことができました。
今回のウィーンフィル日本講演は14日で終了しましたが、連日、演奏会の様子がニュースで報道されていました。コロナ禍の下、日本中で待ち望んだ演奏会だったと思います。いずれ、コロナ禍が終わり海外旅行制限が解かれた時、再びウィーン楽友協会や国立歌劇場でウィーン・フィルハーモニーの演奏をぜひ聴いてみたいと思います。
日本は今(11/25)、新型コロナウィルスの(COVID-19)の第3波の真っただ中です。オーストリアの一日の感染者数9000人には及びませんが、これまでになかった2000人以上の感染者数になっています。
マスクをかけて孫たち(6才)との写真です。いろいろなマスクを持っていますが、普段、家の中で孫たちはマスクを使っていません。欧米でもマスク着用者が増えてきたようですが、日本では、街に出れば100%の人がマスクをかけています。
私が勤務する松原南小学校の「理科4年生」の授業風景ですが、子どもも参観者も全員マスクを付けています。子どもたちには、マスク、フェイスシールド着用、こまめな手指の手洗い・消毒などを義務づけています。授業は「空気の熱膨張の実験」です。私はもう授業はしませんが、指導案の計画や実験器具作成などを手伝っています。
オーストリア政府公認国家ガイドのイップ常子さん主催「ベートーヴェン生誕250周年記念ウオーキングツア−」に参加しました。当日の朝、ベートーヴェンがかつて住んでいた最もお気に入りのアパ−トのすぐ近くから出ている37番のトラムで、集合場所に向かいました。イップさんのウオーキングツア−は毎回大人気で多くの方々が参加をされますが、今回はコロナ禍のため人数制限をされていて、お友達関係の方々だけの参加となりました。イップさんのいつも元気で常に前向きなパワ−いっぱいのウオーキングツア−で楽しい時間を過ごさせていただきました。
ベートーヴェンが56歳で亡くなるまでの36年間に79〜80回ぐらいの引っ越しをしたそうですが、前回7月のツア−に引き続き今回は、難聴に苦しんだベートーヴェンが保養地として住んだ温泉で有名だったハイリゲンシュタットをガイドして下さいました。銅像がある公園で記念撮影をした後、菩提樹の興味深いお話も聞けました。周辺には250年たった今もその当時を彷彿させる建物や風景がそのまま残っているところが多くあり、ベートーヴェン小径を歩きながら、かつてはシルクハット姿にステッキを手にしたベートーヴェンがここを散歩した当時に思いを馳せました。小川のせせらぎときれいな緑が多いこの散歩道は、ベートーヴェンに作曲のアイデアを与えたそうです。暫く歩くとベートーヴェンミュ−ジアムに到着しました。その古い建物と可愛い中庭、苔の生えた屋根に、ふと現在の時間を忘れてしまいそうになりました。移動に使ったグランドピアノや直筆の楽譜、ベートーヴェン自身のライフマスクなどいろんなものが展示されています。その中に意外にも卵が置いてあり、短気だったベートーヴェンが投げつけたといわれるお話もして下さいました。ここは「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いたことで有名ですが、音楽家にとって一番大切な聴覚を失った苦難は想像に余りあります。
いつものようにエピソードや裏話も織り交ぜて説明を盛り上げて下さったので、あっという間に時間が過ぎ、予定の3時間では物足りなさを感じました。お話の仕方がとても上手で、徹底した調査に基づくガイドには毎回感動させられることは有名です。イップさんファンが次のツアーを楽しみにいている中、一日も早いコロナの終息を願っています。
6月17日の『男はつらいよ!寅次郎心の旅路ツアー』と6月23日の『クーデンホフ・カレルギー光子伯爵夫人ツアー』に参加させていただきました。ウォーキングツアーも、コロナ対策の一環でロックダウン以降禁止となっていたのが、規制緩和に伴って、やっと解禁となったそう。それでも、屋内を案内するのはまだNGとのことで、屋外スポットのみを巡るツアーという条件に従って、イップ常子さんが企画されたのが、この二つ。
両ツアーとも集合は午前9時30分、国立オペラ座前。幸い両日とも晴れ!まずはオペラ座前でイントロダクション。竹下景子さんがマドンナ役を演じ、ウィーンを舞台にした寅さんシリーズがあることは知っていたものの、シリーズ第41作目にあたるこの『寅次郎心の旅路』を実は見ていなかった私。撮影現場を見て回るツアーに果たしてついて行かれるかしら、との心配も、あっという間に消え去りました。なんと常子さん、何十という映画のシーンを撮ってプリントしたものをご持参され、それを見せながら映画のストーリーを追うかたちで撮影現場を案内してくださったのでした。身振り手振りを交えたお芝居さながらの常子さんの説明は、寅さんに負けるとも劣らぬ(?)面白さ。寅さんの宿泊したホテル、王宮公園内モーツァルト記念碑前の寅さんが腰かけたベンチ、マドンナの恋人が暮らす家、そして最後は21区にある寅さんパークへ。『生まれも育ちも葛飾柴又』の寅さんの東京都葛飾区と、ウィーン市21番目の区にあたるフローリッツドルフ区は姉妹区なのだそう。映画撮影20周年を記念して2009年に寅さんパークが誕生したそうです。そういえば映画封切は1989年、今から31年も前になるのですね。携帯電話もなく、日本とオーストリアの間に直行便もなかった時代。今のようにスマフォがあれば、寅さんもウィーンで迷子になったりしなかったかしら。いやいや寅さんのこと、スマフォなんぞを持つことは頑なに拒んだのでは?
光子ツアーの時の常子さんは、レースの付いた黒のワンピースに黒い帽子。伯爵夫人、光子さんを意識された、とってもエレガントな出で立ち。まずは、光子さんのご実家である青山家と、夫ハインリッヒのクーデンホフ・カレルギー家の家系図が書かれた大きな紙を開いて、光子とハインリッヒの祖先、そして今日まで続く二人の子孫の方たちについてお話くださいました。これでツアーの予習はバッチリ。『欧州連合の父』として知られる汎ヨーロッパ主義の提唱者で次男のリヒャルド・クーデンホフ・カレルギーにゆかりのあるスポットを中心に、リヒャルドの通った学校、リヒャルドが亡命直前まで暮らしていた住まい、そして、シェーンブルン宮殿のちょっと先、ヒーチングにあるクーデンホフ・カレルギー家のお墓へ。光子さん、ヨーロッパに渡ったのち、再び日本の土を踏むことはなかったそう。国際結婚のはしり。日本人女性などめったにいない19世紀末のヨーロッパに渡り、頼りの夫に早死にされて7人の子供たちを一人で育てた光子さん。国際結婚の大先輩として、図々しくも勝手に親しみを感じ、ありがとうございましたと、手を合わせたのでした。
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「今日なすべきことを明日に延ばすな」ということわざ通り、帰国から数か月経った今考えさせられます。実は「ニューイヤーコンサート プレビュー」からの興奮がまだ冷め切らない1月、中国から始まった新型コロナウィルスは瞬く間に世界中に広がり、パンデミットとなりました。学校は休校となり、その後非常事態宣言が発せられて、5月になっても外出は「自粛する」毎日です。 今後、騒動が収束しても、しばらくは以前のような生活には戻れないでしょう。感染防止のためにSocial distance を1〜2m間隔。きっと以前のように飛行機にも乗れず、航空運賃も高額になるのでは。
「ニューイヤーコンサート プレビュー」の旅が私たちにとって 「最後の海外旅行になるかも知れない」 。とは思いたくもありませんが。。。。 思わず、昨年「清水の舞台から飛び降りる」つもりでニューイヤーコンサートチケットを予約できたことに感謝です。
今振り返ってみると、1週間のウィーン旅行でしたが、毎日が“まるで夢のような“ウィーンならではの充実した日々でした。これまでも何度かウィーンを訪ねましたが、いずれもツアー旅行であり、自由行動のわずかな時間を利用してIpp常子さんにお目にかかるのが常でした。今回は、航空券とホテルもインターネットで予約。意外と簡単にとることができ、ホット一息、一安心。いよいよ深夜午前2時、全日空で東京羽田発、ウィーン着は午前6時。早朝にも拘わらずIpp常子さんが空港にお出迎え。博物館などどこもまだオープンしていないとのことで、Ippさんのご自宅で一休みさせていただき、朝食後、旅の疲れも忘れて、早速、憧れの美術史美術館へ。Ippさんの案内は有名な絵を一通り見せるだけではなく、いつもストーリーを考えて案内してくれます。今回は、古いウィーンの街並みを描いた絵を何点か紹介して下さいました。これは明日からウィーンの街を歩くための予習のようにも思え、実際予備知識として参考にもなりました。ここは本当に何度来ても見飽きません。
午後からは今回のメインテーマが「ニューイヤーコンサート プレビュー」を聴く「音楽の旅」ということで、音楽の都ウィーンに点在する音楽家の史跡探訪。パスクアラッティハウス(ベートーヴェン記念館)は、ウィーン大学の近くで、ここでベートーヴェンはオペラ「フィデリオ」や、多くの交響曲など作曲。部屋までの薄暗い螺旋階段をベートーヴェンが曲想を考えながら上ったその階段を今私も上っているのだと思うと不思議な感じでした。
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パスクアラッティハウス周辺は端正なウィーンの街の佇まい。Ippさんから、実はこれらの建物も映画『第三の男』のロケ地になったところですよ。そのほかにもウィーンにはなんと『第三の男』のロケ地が60か所以上もあるそうです。しかも映画に登場する建物は今も昔も殆ど変わらず、それだけに大変興味深く、帰国後、早速映画『第三の男』を鑑賞し、あちこち実際歩いた場所が映ると2人で懐かしく、「また行きたいわね」と話しは弾みました。
翌日ウィーンの街を散策中、「ここは昨日、美術史美術館で見た絵の場所ですよ。200年前と変わっていませんよ。」とIppさんの説明。古い街並みや伝統など大切に現在を生きるウィーンの人々に尊敬いたします。 ウィーン大学も外観は古くて重厚ですが、建物の中はモダンな設備です。ボルツマン(物理学者)、シュレーディンガー(量子力学)、ローレンツ(動物行動学者)、 ハイエク(経済学者)などノーベル賞受賞者、大学で教鞭をとったフロイト、ブルックナーなどの胸像、レリーフなど拝見すると、首都ウィーンがかつてのハプスブルグ帝国の居城・国際都市だったからこそ、いろいろな人材が集まり「ウィーン学派」と呼ばれるような学問・芸術・文化活動が繰り広げられたのでしょう。
ウィーン最大の シュテファン大聖堂に向かうとモーツァルトハウス・ウィーンはすぐ近くです。ここで「フィガロの結婚」など多くの作品が作曲。部屋の窓からはウィーンの街並みが広がり、映画『アマデウス』を想像するかのようでした。クリスマスが終わったばかりで、クリスマスマーケットや飾り付けなど、オペラ座近辺ではその雰囲気と賑わいでいっぱいのケルントナー通りを通るころはもう夕暮れでホテルに向かいました。
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ウィーン滞在3日目、まず王宮周辺から歴史的建造物を目の前にIppさんの説明を聞きながら散策。ちょうどヨーゼフ広場に出て来るとどこからともなく素晴らしいパイプオルガンの音が響き、思わず目の前のアウグスティーナ教会に足を運ぶとモーツァルトの「Pastralmess」曲。ミサのリハーサル中です。急遽予定を変更し、間もなく始まるミサに参列。ミサではミサ曲の演奏と司祭の聖書朗読、説教が交互に続き、時には参列者が聖歌を歌い、お祈りを唱えます。 私はミサに参列するのが初めてだったので、何もかもが珍しくて興味深く、貴重な体験でした。宮廷専属のアウグスティーナ教会には今もハプスブルグ家の人々の心臓が安置されています。
最後の日はヨハン・シュトラウスもよく訪れたホテル近辺の老舗のカフェ「Cafe Sperl」 でウィーン名物の「ウィーンナーシュニッツェル」、デザートはアップルシュトルーデルをいただきました。
今は外出も自粛・・・ということで、毎日家で旅行の写真を眺めてはウィーンでの楽しかったの日々を懐かしく思う昨今です。
しかし、ウィーンの夢から覚めると現実はまだまだコロナウイルスの影響がいつ終息するのかは想像することができない不安な日々です。しかしヨーロッパの歴史を振り返ると14世紀から17世紀末期にかけてヨーロッパを席巻したペストは今のコロナウイルスの影響以上にたいへんな被害。ウィーンのグラーベン通りにそびえるペスト記念柱はウィーンを襲ったペストの流行が収束したことを記念して1693年に設立。ペスト禍を乗り越えてウィーンの街は「復活」しました。 今ではウィーンは暮らしやすい街では世界一位です。
先日、マーラー作曲交響曲第2番「復活」を聴く機会があり、新型コロナウィルス禍の今に相応しい曲だと思いました。新型コロナウィルス禍からの「復活」を祈り、その歌詞の一部を掲げたいと思います。
マーラー作曲交響曲第2番「復活」第5楽章より
Mit Fluegeln, die ich mir errungen, | 私が勝ち取った翼で、 |
werde ich entschweben! | 私は飛び去っていこう! |
Sterben werd' ich, um zu leben! | 私は生きるために死のう! |
Aufersteh'n, ja aufersteh'n wirst du, | よみがえる、そうだ、おまえはよみがえるだろう、 |
Mein Herz, in einem Nu! | わが心よ、ただちに! |
Was du geschlagen, | おまえが鼓動してきたものが |
zu Gott wird es dich tragen! | 神のもとへとおまえを運んでいくだろう! |
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アパートの居間や寝室は、 いくつも絵が飾られていて、いい雰囲気 |
アパートの台所。洗濯機にはドイツ語の マニュアルしかなく、使い方に少し苦労した |
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小さな歯医者の看板以外詳しいことはわからず、 開けるのに勇気がいった古いドア |
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国会議事堂前にて |
村田様ご家族との楽しいひと時 |
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プリトヴィツェ湖畔国立公園 |
ポストイナ鍾乳洞 |
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プレッドヤマ洞窟城 |
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キッツビュールのハイキング・フェスティバルにて |
グリンツィングのホイリゲにて |
ホテルインペリアル、久し振りのヴィーナー・シュニッツェル |
懐かしの友人宅訪問 |
没後100年「フランツ・ヨーゼフ1世」ツアーに参加 |
シュヴェヒャート空港にて |
アパート外観 |
アパート室内 |
ウィーン市立公園にて |
プラハにて |
国立歌劇場にて |
シェーンブルンにて |
シェーンブルン宮殿 |
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アパート外観(黄色) |
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ウィーン・国立歌劇場 |
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ウィーン・ブルク劇場にて |
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ウィーン、モーツァルトハウスにて |
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スイス・ユングフラウヨッホ |
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ザンクト・マルガレーテン野外オペラ |
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イップ邸でのご当地料理実習 |
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ローラウ村・ハイドン生家 |
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シェーンブルン宮殿 |
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シェーンブルン宮殿 |
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モーツアルト像の前で |
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